具体的な脳ドックのこと
正直に言って聞く勇気がなかった。
私の脳裏にT医師から電話を受けて困惑するK医師の像がぼんやりと浮かんだ。
彼が自らの院長室に座り込んでしばらく考えこんだ後、やおら思い直すようにコンピュータに向かう姿であった。
やがて嘗て若い頃、外科研修に汗を流したことのある国立がんセンターのホームページに行き着いて、前立腺がんの項をプリントアウトしたものと考えられる。
そのコピーを私の目に触れるはずの助手席にさりげなく置くことを考えたのは、おそらく車に乗り込んでホテルに向かってくる途次のことであるまいか等々、彼が一切触れようとしないファイルの件について、あれこれ想像をめぐらせてゆくと、K医師が突然、予定を変更してホテルに迎えにきてくれた意味もすべて了解された。
何事によらずセンスというものを口癖にしている彼らしい思いやりを感じた。
不思議なことに、午後からずっと心のあっちこっちを去来していた「ある憂い」が消失していくような気分になっていた。
私は、これまで医師として数多くのがんの患者に対応してきたが、その経験に踏まえて最近は二つのことを軸に考えるようになっている。
一つは「がんとは老化を基礎とした慢性疾患だから、すべからく共存を基本とすべきである」という前提を患者に求めるようにしているが、よほどの進行がんでもひたすら「治す」こと以外は眼中にない患者・家族にそうした真意が正しく理解されることは少ない。
もう一つは「がんとの闘病ではそこから新たな人生が始まる。
その疾病とたくましく付き合って行くためには、精神的におおらかに成長していくことが求められる。
なににも増して闘病のスタートをどのように巧くきるかが大切だ」と説くことである。
車の走りがとても滑らかになったように思えた。
ふと車窓に眼をやると、眼前に桜島が悠然と構えている。
桜島は包まれていたが、先ほどまで八合目辺りにかかっていた雲が切れて全体像がくっきりと眺められた。
思わず「よかった、よかった」と口中でつぶやいた。
衝撃的なはずのがんの話がさりげなく行われて、これで慢性的な闘病のいいスタートがきれたという実感があった。
ひとえに「がん告知」の重要さと難しさということに他ならないが、ほのぼのとした人間的ながん告知がなされた夕べのひとときであった。
「ふるさとの山に向いて言うことなしふるさとの山はありがたきかな」(啄木)私はいつがんになったのか?私は、二○○五年、前立腺がんの手術を受けた。
その術後しばらくして主治医から、直径二・四センチ、一・九センチの二つのがん病変が認められたと告げられた。
この大きさからいえば私のがんは少なくとも早期のがんと呼べる状態から数年ぐらい経過しているといえる。
そうした数十億個のがん細胞から成り立っているがんの集塊を生じさせる原因について、最初になんらかの発がん物質の関与が推定される。
けれど私にはこれといった原因物質は思い当たるべくもない。
一般的に発がん物質としてはタバコが三分の一、食べ物が三分の一、他の発がん物質が三分の一というのが定説のようだが、私はタバコを吸わないし、その他の化学的発がん物質にもこれといって思い当たる節がない。
噌好ということで言えばステーキとか焼肉を好んで食した時期があったが、その程度のことで正常の前立腺細胞から発がんが誘発されたとは考えられない。
最近、職業的に昼夜逆転の労働形態(職種)において前立腺がんが多発、理由として体内時計の乱れが原因ではないかという疫学調査が報じられた。
乳がんと並んで前立腺がんはホルモン依存性が強いというのは古くから医学的な常識で、その点ではなんとなく思い当たる事実がある。
私は人生のある時期にきわめて不摂生な生活をしていたことがあった。
人並みに医師として小児の救急に好んで従事していた四五歳のころ、他方で脳死問題にかかわっていたため、毎夜二時、三時の就寝というずいぶん睡眠時間を切り詰めた不規則な生活を続けていた。
毎週木曜日には東京の研究会に出席するため、水曜日は徹夜をして翌朝新幹線に飛び乗って車中で睡眠をとることが当たり前の昼夜逆転の生活が日常化していた。
前立腺がんに大きく影響する男性ホルモンは早朝に分泌が最も盛んとされる。
私の場合、慢性的な睡眠不足の数年間に、日内変動のバランスが大きく崩れて、そうした異常が細胞のDNAの組み違いを誘発、変異細胞誕生の契機となったのかもしれないと思う。
ともかく一個の細胞の発がんが臨床的な症状を伴うがんに成長するまで、一○年、二○年以上の時間を経るというのが一般的なパターンであるから、私の発がんの時期が四十代という推論はまず間違っていないと考えられる。
一般的に四十代というのは医学的に非常に大きな境目とみなすことができる。
多くのスポーツ選手がその年代を前にして引退を余儀なくされる事実を見ても、急速に体力が低下する年齢であることは疑いえない。
加えて職場、家庭その他でそれにしてもがん細胞はこの一○〜二○年、私の体内でダブリング・タイムといわれる細胞の量的拡大速度にしたがって倍々ゲームを演じることをはじめ、どんなに複雑で綴密な細胞生命的な営みを展開してきたことだろうか。
正常な細胞同士は細胞接着物質によって固く結びついているが、がん細胞では悪性度が高くなるにつれこの接着物質が減り、血液中にこぼれやすくなって、転移の原因を形成するともいわれる。
そんな複合的な生命現象が一○二○年にわたって体内で繰り返された結果ががんであり、この点では実験動物の発がんとは相当ちがったメカニズムによるものと推定される。
ホルモン異常説の真否はひとまずおくとして、この間、それほどにまでがんが成長していても、私には自覚症状と呼べるものはまったくといっていいほどなかった。
前述のように、前立腺がんではPSAと呼ばれる腫傷マーカーの簡単な血液検査が可能となって、早期発見に大きな道が開かれている。
私の場合も、そのPSA値が五年前には四・九で正常域を少し超えた程度であったのに、五年後の年末に測定したときには九・九へと倍以上に上昇していた。
PSA値の四から一○までの域は前立腺がんの発生を疑うグレイゾーンと呼ばれていることから、その上限の値を示したと言うことで疑惑はかなり深まった。
さらに経過観察中の三か月後には、一四・四へ上昇、疑いは一気に強まり、直後に実施した針生検をはじめ一連の検査でがんの確定診断、やがて手術へという次第であった。
少し時間をください」と言ってくれて、何日か後に大阪府立成人病センターなど数か所の名を挙げ、「その際は、私からもお願いするようにしますから」と言い添えてくれたのは、患者の立場としてずいぶん心強いことであった。
そうした医療機関の中には当然、東京の国立がんセンターなどの名も挙がって、私はそれらの医療機関の優先順位を日替わりメニューのように頭の中で入れ替えては、ようやく地元の基幹病院を選んだ次第であった。
この間、正直に言って迷いの多い日々であったが、私にはそれなりの医療機関を選定したという自信めいたものがあった。
最大の迷いはそうした入院先の選定よりむしろ治療法の選択であった。
一定程度進行した胃がん、大腸がんのように外科手術以外の選択肢がない場合とちがって、前立腺がんの治療は選択肢の多さが一つの特徴である。
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